25歳までの私は
グラグラでふにゃふにゃだった。
グラグラでふにゃふにゃだったから
何度も躁鬱を発症し精神科に通院した。
効いているのかわからない薬を飲み続けた。
家族や恋人たちにもたくさん心配をかけた。
30歳までが限界かもしれない…
これから何十年も生きるのが辛い…
そう思いながら生きていた。
命があるだけで、もはや死んでいた。
25歳のとき
0歳のぼうちゃんと出会った。
初めて守るべき存在ができた。
人生や自分の存在が
私だけのものではなくなり
私は少し強くなった。
「この子を看取るまでは絶対に死ねない」
猫の寿命が15年と想定して
生きる目標が30歳→40歳まで延びた。
夫と出会い、
「できるだけ長く同じ時間を共有したい」
おばあさんになるイメージが初めて浮かんだ。
躁鬱を繰り返す中で
「私」と向き合う練習ができた。
何が好きで、何が嫌いで、
何が得意で、何が苦手で、
何が大切で、何を大切にしたくて、
どんなことにダメージを受けてしまって、
どんなことが心地いいのか。
グラグラでふにゃふにゃだった私は
「私」を知れば知るほど
自分のフレームが固まってきた。
「私」の形が出来てきた。自立した。
昔、精神科の医師に言われた。
『ストレスへの耐性が低いですね』
人の顔色や機嫌を感知してしまう。
場の雰囲気を感知してしまう。
HSPも相まり様々なことが気になりすぎる。
体調が天候に左右され偏頭痛が起きる。
これは私の性質なので
今も全く変わらない。
そして変えることはできない。
この感受性の強さは
「自分ものさし」として役立った。
自分の弱さを知ったことで
ストレス要因となる状況や環境を
避けることができるようになった。
自分の「好き」「大切」を知ったことで
揺らいだときの特効薬(=心の栄養)で
自分自身でリカバリーできるようになった。
「私」を知ることが
「私の人生」の始まりだった。
「私」のために取捨選択をする。
「私」を守るために心地良さを選ぶ。
「私」が「私の人生」を始める。